映画スワロウテイルを見たけど辛かったっていう話
2016-10-05 Wed 08:59
ご無沙汰してます。夏川です。
PCは相変わらず壊れてるっていうか、わりともう直す気がない状態です。
PC使ってやりたいことが何もないんだよねー!
直したところで何やるって、他人のゲームのプレイ動画見て時間をドブに捨てるだけなんですわ!
現状、直しても百害あって一利もないので、もーちょっと財布の状態が良くなるまで壊れたままを継続します。

さて本題。
タイトルに書いた映画『スワロウテイル』を見たって話。感想。

そもそもなんで今スワロウテイル?って話ですが、
スワロウテイルって歌手のcharaが「グリコ」って役名で作中でシンガーやってたじゃないですか。
そんで当時、作中のバンド「YEN TOWN BAND」名義で実際にCDアルバム出したりしてたわけですけど。

映画公開(96年)から約20年経った去年末、なぜかYEN TOWN BAND名義で新曲をリリースしてるんですよね。
歌ってるのは当然chara。作詞はYEN TOWN BANDオリジナルメンバーの小林武史。
『アイノネ』という曲名で、メロディも動画も印象に残る内容なので、未見でしたら是非youtubeから見ていただきたいんですけど。

で話を戻すと、昨日の夜中のことですが、眠気が来ないのでいつものようにネットサーフィンをしていたら、
唐突に『アイノネ』のミュージックビデオをフルで見てみたいなという思いが湧き立ちましてね。
iTunes StoreでMVを購入したんですよ。

で、MVをリピート再生していたら、なんだか涙が止まらなくなってきて。
『アイノネ』のMVは全編アニメーションなんですが、挿入されているシーンは全て映画『スワロウテイル』から引用したものなんですよね。
その挿入シーンの数々が、生き生きとして生命力に溢れてて。
でも確実に言えるのが、「こいつら絶対長生きしないし、ロクな死に方できない」っていう。
メメント・モリ(「死ぬ運命にあることを忘れるな」の意のラテン語)っぷりが迸りまくってて、ついでに私の涙腺からも汁が迸ったわけです。

これはね、もうね、元の映画を見るしかないよね。
ということで再度iTunes Storeのお世話に。映画を300円でレンタルして見ました。

で、感想なんですが・・・。
うーん、勢いで書き出したけど、感想らしい感想をまとめるのは難しいな。
映画そのものの評価よりも、「今この映画を見た意義」みたいな方に私の意識がフォーカスしてるので、正直映画の内容自体は重要ではなかったです。
でもあえて感想を一言述べると、「とても面白い映画」でした。私はストレートに面白いと感じた。

ただ、見る前に『アイノネ』のMVで映画のハイライトがなんとなく分かってたのと、
残虐描写を見て気分悪くなりたくなかったから、わりと詳細なあらすじを事前に見ちゃってたんですよね。
なので、ストーリー自体にドキドキすることはなかったです。
それでも、普通に見ていて「円都(YEN TOWN)」がある世界観には凄く引き込まれました。
監督の岩井俊二の中で、「円都のある世界」というのが現実世界を引き気味に見たときの一つの評価軸になってるみたいなんですが、その感覚は実際に映画を見ることで十分共有できると思いました。

円都は、移民(特にアジア系)で溢れる、ある種無法状態になった日本の一角です。
使用言語は、中国語と英語と日本語が混じり合っててめちゃくちゃ。意思疎通さえ出来ればなんでもいい状態。
それでも、そこで暮らす人たちは「円を稼いで祖国に帰る」ことを目標に、お互い助け合い、あるいは利用し合い、コミュニティを築いて日々を力強く生きている。
彼らは時には犯罪も犯す。目的が何はなくとも円を稼ぐことだから。祖国に強制送還されたら、その時はその時。やれるだけの金策を、毎日頭をひねって編み出してる。

・・・この状態、公開当時の20年前は「はいはい架空のアジア観乙」って感じの感想が多かったみたいなんですが(乙という言い回しが存在してないことはとりあえずスルーで)、今見てみると割とシャレになってないんじゃないかなって思うんですよ。
つい最近政府発表でありましたけど、日本の人口はついに減少に転じました。
この先の日本は、総人口のうち無視できない割合をアジア系の移民たちが占めることになると思います。
今でさえ、留学生なのかただの観光客なのか、外国人が東京の街中に結構な密度でいますし。

少し前のことですが、中央線に乗って新宿に行ったら、電車の中も駅周辺も中国人だらけでびっくりしました。
私の知ってる新宿がいつの間にか消滅してて、割とマジな話『龍が如く』の世界のがよっぽど(私の頭の中の新宿よりも)現実に近くてショックを受けましたね。

話を映画に戻しますが、私がこの映画を見て感じたのは、実際に円都みたいなスラムが出来てワケわかんない移民だらけになっちゃったらどーしよう!ということではなくて、「移民(作中の言葉でいうと『円盗』)」たちが日本社会に完全に組み込まれて、生活の一部として付き合っていかなければならなくなったらどうしよう、ということでした。
言葉の壁があるから意思疎通が難しいし、信頼関係も簡単には築けない。でも見ないふりをして追い出せばいいという問題ではない。
彼らにだって生活があって、将来の夢とまで言わなくても、ちょっといい靴を履きたいとかのささやかな願いは常にある。それは移民とか関係なく、普通に生きる人間が抱く希望の一種だ。
彼らと私たちはお互いを「積極的に」害したいなんて思ってない。ただ、隣人としてそれなりにうまく付き合っていけるようになりたい。

・・・と思い巡らすだけで意思疎通が出来るようになりゃ世話ないわけで、実際は言葉の壁がたくさんの悲劇を誘発するだろうと思うんですよね。
作中でもそれは既に描かれていて、中国語がほとんど分からなくて勉強中のアゲハが、フェイホンの言葉をうまく仲間に伝達できないシーンがあります(これ、字幕を正確に追ってないと見落とすみたいで、字幕が出ない=アゲハも意味をとりかねていることに言及してる感想が全然見当たらなくてびっくりしました)。

あと、映画では日本人と外国人の間に超えられない壁(金銭的格差)があるのが前提だったけど、
現実に日本が移民だらけになった時は、日本人の立場がそんな上なわけがないと思うんですよね。
つまり、作中で「円盗」だった人たちは、将来の日本人の姿の可能性だって十分ある。

だから、私はアニメMVで円盗たちに感情移入せずにいられなかったし、
彼らの儚さ・切なさに涙せずにいられなかったわけです。

全編通してそんな状態で見た映画ですからね、そりゃあ面白くないわけがない。
でも事前にあらすじを把握していたとはいえ、終盤の展開はやっぱり辛かったです。
救い・・・。あの世界に救いはあるのかなあ。
いいように解釈すれば、円盗2世のアゲハのような子たちが力強く生きる様子が「救い」なんだろうけど、それって目くらましというかあまりにも子供騙しすぎる解釈だと思うんだよなぁ。
格差は厳然として存在して、根本的な意味での「救い」にはきっと誰一人到達できないから。

もし私があの世界の「円盗側」で、少しでも世界を良くしたいと思った時、何が出来るんだろうな、って。
最終的な感想はそんなところでした。
答え?出てません。今の私は何にも持ってない、何にもできない小市民だから。

でも、「将来の私」はどうだか分からないな。
今は持たざる者でも、「その時」が来る頃には持てる者でありたい。
2016年に『スワロウテイル』を見た感想はそんなもん。
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